カテゴリー: 日常

中年ロッカー

50も過ぎたようなオッサンが、「あいつらなんて!」とか「この社会は!」みたいな反体制的なことを歌うのは面白いね。

たぶん若いときから同じようなことを歌ってきたんだろうけど、五十年も生きて社会の何も変えられなかったと恥ずかしくなったりしないのだろうか。自分が若いときに生きづらかった世の中に文句だけ言っておいて、今の若者が生きづらくなってる社会にそのまましちゃったことの責任を感じるのだろうか。

反体制気取りの若者も五十歳を過ぎてすっかり体制側にいることにすら気づかず、尖った振りをしてるならそんなオモシロイことはないね。

たぶんだけど、現実の若者の叫ぶ不満や不安はもっとリアルだろうから、中年ロッカーが息巻いてるのはやっぱり「ごっこ」に見えるんじゃないかな。定職もあったり、家族もあったり、それなりの地位があったりね。なんだかんだでそういうものを多少なりとも手にしておいてさ、ダメになった世の中作りに貢献したわけだよ、望むと望まざるとに関わらずね。

中高年はさ、もうちょっと反省したほうがいいよ。オレが若いときにはさ、やっぱ今の大人がアホだからクソみたいな世の中になったと思って反抗したわけじゃん。で、自分が大人になってみたらもっとクソな世の中にしちゃったよね。

そういう意味でも中年ロッカーが「あいつらのせいでー」みたいな歌を歌うのはなんだかなーってなるよ。もちろん若い頃の自分のパロディーってことならわかるし、昔の自分を懐かしがってるならそれもたまにはいいけどね。ただその程度のパッションで反体制っぽいことしててもリアルな若者には見下されると思うけど(笑)。

何にしても中年ロッカーには中年なりの怒りと戦いの矛先はちゃんとあるだろうからね、今のリアルな叫びを聞かせてほしいわ。

音楽をやる意義

いや、別に難しいことを言いたいわけではないよ。

例えば、自分がアーティストだとして…

一万人が自分の歌に酔いしれたとしても1円ももらえない状態があったとしよう。もちろん音源も数万人、数十万人が聴き惚れてくれるが決してお金はもらえない。食いっぷちは自分で別の仕事をしなくてはいけない、絶対お金はもらえないけど音楽はやり続けなければいけないっていう状況ね。

次に武道館で人っ子一人いない状況でライブしなきゃならん、でもギャラは一人前もらえる状態ね。音源もバカバカ売れに売れて印税はガバガバ入るけど、その音源を聴く人は誰もいない。絶対誰も聴かないけど音楽はやり続けなければいけないっていう状況ね。

この二択の状況ならどっちを選ぶ?

自分の歌に数万人が狂喜乱舞する姿は見られるけど生涯一切ギャラなし、もしくは生涯誰一人自分の歌を聞いてくれなけどギャラには困らない。

やっぱ気持ちよく音楽活動するなら前者?

聴いた人が感動してくれることで幸せを感じられるから?

極端な例だから何とも言えないけどね、でもオレは後者を選ぶと思う。ギター弾いたり歌ったりするのは楽しい、でも誰かを感動させたりすごいと思わせたいからやってるわけじゃないからね。いや、そりゃオレの歌で気持ちよくなる人がいたらそれはそれでいいと思うし、あぁよかったねと言ってあげたいけど。

重ねて言うが極端な例えだからね、どっちかっつーと後者寄りかなと思うだけでさ。オレの歌でみんなを元気にさせるよーとか勇気を与える歌を歌うぜ、みたいな姿勢のアーティストは大苦手なのは確かだ。

一人きりでこっそりいつまでも音楽をやっててもいいし、でもついでに誰かも喜べるんだったら尚いいね的なスタンスでオレはやってます。

が、しかしライブには来てほしいし音源も買ってほしい(笑)。