親に感謝ってする必要あるんですか?


自分に子供が生まれてわかったことですね。自分の子供はオレが欲しいっていう理由で、欲しいタイミングに合わせて生まれましたよ。
子供にとっては生まれたくて生まれたわけじゃない。
育ててほしくて育てられ始めたわけでもない。
すべてオレの都合、オレの理由、オレの願望…です。
自分にも子供が欲しくて、だから生まれた子供を全力で、すべての愛をそそいで、一人前の人間に成長させることは、それに伴う義務だし、そもそも愛したくて愛してるし、愛する子供だったら、よりよく、かしこく、性格もしつけもよい子供に育てようとするのは当たり前以上に当たり前です。

で、なんだって?お父さん、育ててくれてありがとう!って子供に思ってほしいのか?というとこれがまたそんな願望は一つもないですよ。
無事に育ってくれたありがたいな、とは思うけどね。
日々がこんなに楽しくて充実してるのは子供のおかげですわ。

オレ自身もさ、だから両親に感謝するってのは何か違和感があります。そりゃ学校で習ったみたいにお父さんお母さんにありがとうを言いましょう的なことは教わったけどね。でもやっぱ何か違和感はありましたね。
母が死ぬ間際に、オレたち兄弟を育てられたことが何よりも幸福だった、と言ってたけど…そりゃそうでしょうね。
育てられてる子供より育ててる親のほうが、自分の都合で育ててるんだから楽しいに決まってますよ。

だからオレも息子に言ってるよ。オレたちに感謝なんか一つもするんじゃない!
もしも感謝したいような気持ちが湧いてくるなら、それはオレたちに対してじゃなくいずれできる自分の子供に全力を向けろ、ってね。
子供の世話して、親の顔色見てちゃ三歩進んで二歩下がる、ヘタすりゃ三歩も四歩も下がっちゃうよ。

大切にしなくちゃならないのはいつだって先人ではなく、次世代の幸福なんじゃないかなってさ。
もちろん先人へのリスペクトは必要だけど、一代過ぎる毎に少しでも、わずかでも進化するためには常に自分の次の代に全力をかけるべきでさ、先代のことは構わないってのがいいと思うんだよね。
ま、人の家庭のことなど知らないけど、オレはそう思ってます。

何千年も人間は変わってないでしょ、何も賢くなってない気がします。
一世代毎に、ちょっとずつ賢くなっていけばいいかな、と思ってます。
自分が親に受けたよくなかったことを一切子供に対しては行わず、よりよい方向になるように全ての親が心がけていれば人類も進化するかもしれないなーと思います。

だって数千年前の人が語った説教をさ、今まだありがたがって聞いていられるっておかしいでしょ?
千年以上も経てばさ、お釈迦様の言ったことの半分くらいはもうデフォルトの当たり前になってて、ありがたくもなにもないよ、ってなっていたいじゃん。何千年も前の人の話した内容が、うーむ勉強になる、ってさ、人は変わらなさすぎじゃない。