お金としあわせ

お金だけがあってもしあわせじゃないのは今どき誰でもそう思ってるよね。じゃあお金がなくてもしあわせなのかというと、やっぱり時と場合によるしね。

っつーか、そもそもしあわせってなんなのよ?って話だ。シチュエーションによって瞬間的に感じることのほうが多い気がするけど…どうなんだろ。生活してる間中しあわせを感じてることなんかないよね、きっと。

仲間といるしあわせ、家族といるしあわせ、がっつり儲けたときのしあわせ、散財したときのしあわせ

お金に絡んだしあわせのときだけ、なんか蔑まれるような気がするよね。どんな状況だろうが人によって受け止め方が違えば幸福感も違うわけだしさ。仲間がいたって別にそれをしあわせと思わない人もいるし、散財したってしあわせなわけでもない。

結局人に言うときにさ、外面よくしようと思ってしあわせを語ってるだけなんじゃないか、なんてふうにも思えるよね。

だって家族がいなけりゃ家族といるしあわせはわかんないし、金を持ってなきゃ金を使って何かしらを手にしたしあわせは知り得ない。

友だちを欲しくない人も恋人を欲しくない人もいる。しあわせのカタチは様々過ぎてしあわせを語るのは難しすぎる。

ただこの社会に普通に暮らしている場合、お金はないけど聖人君子って人はいなさそうだけどね。どこかしら卑屈だったり、セコかったり、依存の度が過ぎたり、余裕がないぶん捻れてたり…。ま、もちろんオレの偏見だけどね。

なのでお金としあわせを関連付けて考えるのはオレにとっては簡単なことじゃあないんだよ。