誰もやさしくなんかない

やさしさってものには質量がない。だから大きなやさしさとか小さなやさしさとかは測りようがないよね。

大きなやさしさを与えたところが小さなやさしさにしか受け取ってもらえないことなんてザラだ。そもそもやさしさってものは何をもってやさしさなのかも人それぞれだからね、そりゃ相互理解なんて無理な話だ。

そりゃオレは元来やさしい男なので万人に常に小さなやさしさをばら撒いてるわけだが、それを大きなやさしさと捉える人もいるし、気にも停めないヤツもいるし、小さく裏切ってくるやつもいる。

金銭のように共通の認識がないだけにオレが与えたやさしさの対価はまるで違った対応で返ってくる。十のやさしさを五十でかえされたり、一で返されたり。ま、返して欲しくて与えるわけでもないけどね。当然逆にオレが返してないこともあるかもしれない。ただ、それは自分にとって恥だと思っているのでなるべく施されたやさしさに気付くように、受け取れるように気にはしてるよ。

なかにはこちらが気遣いをすればするほど調子に乗るやつがいる。オレの常識では一つ世話になったらやはり一つ以上お返しをしたいと思うんだと思うけど、クソ野郎は一つ世話になると、はいもう一つちょうだい、次は何を世話してくれるの、ってなるんだよ。

そういうヤツは実際にいるし、自分がそういうヤツだとは思いもしてないだろうけどね。だからオレはこっそり手を引く、そして近づかない。

いや、オレがそういうヤツになってないかどうか、そこは常に自省が必要だと思うよ。